とよおかロボ

夜の『とよおかくん(旧上士幌町立豊岡小学校)』へ行ってきた。
人が集まっていて雰囲気に憶したというよりも初めて中に入ったので、壁とか天井とか児童作製画に目がいって落ち着かない。
悲しい性だな。。。
コンシェルジェ兄さんにも初めて会った。
豊岡小学校第1回卒業式の写真とか見せてもらって感動してきた。
一気に出すと、いたましい(もったいない)ので小出しにします。

『とよおかくん』で出会った寡黙なロボット。
こんな感じのロボット見たことがあるよ。
ずんずん歩け★

お橋様(勇川橋梁)を探しに行ったあと、黒石平の歩道を歩いた。
市街からズーッと続く歩道。
歩く人は、めったにいないだろうから通る車が「何者だ?」と言わんばかりにジロッと見ていく。
なんたって駐車したところから1㎞近くは下がってきたからね。。。
雪が溶けて暖かくなったら糠平まで1日かけて歩いてみようかな。
でも、路肩でクマがハーハー言いながら路肩の緩衝材(橋の手前とかカーブの途中にある車がぶつかったときとかの衝撃を和らげる物)をかじってたら少し嫌だなぁ。。。
ぬかびら源泉峡の「ひがし大雪博物館」にクマにかじられた緩衝材を展示してあったのを見た。
そんなの見たらちょっと尻込みする。

※オレンジ色のは、ねこんの手ってではありません。
清水谷のアバ

アバと言っても「ダンシング・クイーン」のABBAのことではありません。
ここは上士幌町清水谷地区の音更川縁へ降りた場所にある「オタオロシタプコプチャシ跡」。
一度読んでも記憶しにくそうな名前。「砂浜にある盛り上がった小山」の意味だという。

上流の元小屋ダムのほうから渓谷を縫って流れてきた音更川は、これから平坦な十勝平野へ抜けようというところで、グンニャリと曲がっていて国土交通省の空撮写真でもそれらしい場所がわかります。
きっかけは、上士幌広報に「上士幌町地域の宝さがしの会」が気球を使って現地を空から調査したとの記事を見て興味がありました。
チャシ跡(アイヌの砦や見張り場と解釈されるが諸説あり)としては以前から史跡として町の資料にも出てくる。
実際現地へ行ってみると川沿いは切り立った崖になっていたので、かなり回り込んでようやく到達。周囲が円形状に切り込まれた崖や山々に囲まれて、その中にポツーンと異形の岩山が立っている不思議な空間。
近くの高台にここに関する指標が立っていて、このチャシは、宗教的儀式に使われた場と考えられていて確かにそんな雰囲気です。

この岩山は「クシャミ岩」とも呼ばれていて、言い伝えが残っている。
戦いで傷を負った戦士の一段が音更川上流地域へ温泉で傷を癒すため歩を進めていたところ、この岩のところまで来たとき暗がりから矢が飛んできて岩山に突き刺さった。
「まずい!追っ手だ!静かに岩山に隠れろ!」
確かに矢を放ったのは追っ手であったが、彼らを発見して矢を射ったわけではなかったようだ。
息を殺して追っ手がやり過ごすのを待っていたところ運悪く仲間が、つい大きなクシャミをしてしまい、無残にも全滅させられてしまった。。。
神聖な雰囲気の場所に血なまぐさい言い伝えもあるものですが、アイヌ伝説には尾ひれの付かず、血なまぐさい言い伝えも多いものです。
このアイヌの聖域が後の時代、まだ音更川上流に国鉄士幌線もアーチ橋梁もない時代に伐採された原木を下流域運ぶために音更川を使い流送した。
1892年(明治25年)十勝監獄の糠平上流伐採により上士幌の林業が始まりました。その頃から流送が行われていましたが無計画に川へ投げ込んでも思惑通りにには流れていかないので、川に堤を設け、川水を一時的に堰きとめて一気に堤を開けて流す。
いわゆる「鉄砲流し」と言われた流送法もとられたと流送に関する資料にあります。
その場所が網場(羽)。「アバ」と呼ばれ、音更川には何箇所かそういう堤が設けられており、ここオタオロシタプコプチャシ跡もまた「アバ」であったそうです。
岩山の頂には水天宮が祀られて多くの人が流送作業に従事していて糠平ダムが完成する以前の音更川は急流で、それを使った流送作業は当然のことでしたが、後年始まった士幌線の敷設でアバは上流へと移動していき、やがて鉄路にその座を譲ることになっていきました。
かつて轟音と共に原木が流れていくさまは凄まじいものだったようですが、今では当時の様子が想像できないほど流れは静かになり、静寂に包まれた神秘的な場所です。

※「流送」は主に針葉樹に限られたそうで広葉樹は流送すると製品にならなかったそうです。
※流域は、ダムの放流などにより増水もありえるのでサイレンなどの保安設備はあるものの状況により注意が必要です。
「木材」と「会いたい」

珍しい看板を見つけた。
何度も前を歩いていたけど、気づいたのは初めて。
旧国鉄士幌線の終着駅「とかちみつまた」。
森林資源として音更川流送の時代から士幌線での輸送を経て、森林資源はどんどん運び出された。
昔、十勝三股で暮らした人が再び訪れたとき、伐採によるあまりの変わりように驚いたのだという。
こんな看板があるくらいだから、上士幌の森林資源は優れたものだったのだろう。
大人が10人くらい余裕で立っている切り株の写真をどこかで見た覚えがある。
しかし、それほどの大木を見ることは、現在ではよほど山奥へ行かない限り、ほとんどなくなりました。ねこんも見たことはありません。
当たり前にあるものは、それが人為的であろうとなかろうと近い将来にはなくなってしまうかもしれない危機をはらんでいるものなのですね。
橋も然り 人も然り
いつでも いつまでも会える 会い続けられるわけではない。
会いたい人(モノ)があるならば、「いつでも会える」とか言ってないで
会っておくようにしておかなければいけないね。
うずたかく積み上げられた雪山のように
見飽きたものが、少しづつやせ細ってやがて空へと還っていく。。。
そして、あれほどわずらわしがっていた雪を懐かしむ。
人とはそういうものです。
それはそれでいいじゃないかと思う。
第三橋梁からの返事

数日前、竹中町長とひがし大雪アーチ橋友の会会長の連名で手紙がきました。
先の「第三音更川橋梁保全および活用事業」支援事業基金に関するお礼がしたためられています。
うーん。。。額にでも入れとこうかな。

ちなみに一部修正してあります。

