≪最初 <矢じりからデジカ… |TOP| 極秘湯!岩間温泉> 最新≫

待ち続ける学舎

テーマ:学舎のアルバム

自分の通った学校が街にあるようなところなら良いけれど
郡部と呼ばれるようなところにあって、すでにどこかに統合になっていると、そうはいかないことが多いようです。
校舎が何らかの施設に転用されたりしていればいいけれど、すっかり取り壊されてしまうと当時を偲ぶものは見たこともない大げさな記念碑だけだったりして。。。
なんだか記憶を確かめる術がないのは寂しいものです。

ところが何の力がはたらいたのか閉校から40年近く経ち、管理されることもなく緑に埋もれているのにあの日のままの学校があります。

『上稲牛小学校』 足寄町

校舎遠景

教室昭和20年ころから入植者が増加したこの付近の集落は、奥へ進むごとに山が近づき谷間の様相を深めていきます。
それほど奥へ行かないうちにカーラジオも電波のキャッチが悪くなってくる。。。
古い感じの建物がチラホラ見えてきて古い集落である様子は色濃くなっていく。
気がつくといくつかは既に廃屋と化しているようです。
それでも畑は休むことなく青々としている。ここまで耕作にくる人がいるんだなぁ。。。

年表国道から分岐する道のところに稲牛小学校というのがあって、このあたりの子たちも始めはそちらに通っていたそうです。
でも7キロもの道のりを毎日通学せねばならなかったことから住民が学校建設運動に乗り出し、住民が490日間の出役をもって、このブロック建て校舎が完成したそうです。

子どもの絵せっかく完成した学校も23年後には、また稲牛小へ統合ということになってしまいました。
閉校時の生徒は10人。まだそれだけの子たちがここで学んでいたのです。

道をどんどん奥へ進むと家の数はめっきり減ってきて空家ばかりが続いていくようになり、道も細いものに変わってきました。

『ホントにこのあたりに学校があるのかなぁ。。。』カエル

不安がピークになってきた頃、麦畑脇のうっそうとした茂みの中に明るい赤の屋根が見えた。

『あっあそこだ』カエル

少し塗装が剥げているようにも見えるけど思ったよりもずっとキレイな学校。
同じ足寄町の長野小学校みたいに学校らしくない感じもする。。。
入口上の校章が学校であることを隠すことなく示しています。

入口

『閉校の日から40年近い校舎とは思えないね。。。』カエル

掲示物割れたガラスもなく雑然とした藪がなければ、メンテナンスがちょっとおろそかかな。。。という感じです。
道かグラウンドかも分からなくなった藪をなんとか横切って入口に立つ。
入口は閉鎖されているでもなく普通に開いた。
登校児童を待つかのように、ドアは開くのが当たり前であるかのように。
小さな学校にはお似合いの狭い玄関口の脇に小窓があってその奥の部屋が職員室のようです。
中には月間行事予定を記入する黒板がありました。

月間予定表

『えーっ!』カエル

詩驚いたことに閉校になった年、3月の予定が書き込まれたまま。
3月28日の欄には「糠平へお別れ遠足」という文字も。
小さい出来事だし、隣町だから当然といえば当然だけれど、ちょっと感動。
31日の「今日で統合併合」という文字に無念さに似たものが読み取れます。

ブロック建てということもありますが、ただ気力を失って朽ちていくのではなく、何かを待ち続けているから己を保ち続けているんだと、この学舎を見て思いました。

校舎中景

昭和23年創立 昭和46年3月閉校

衣服かけ

仕方のないことが たくさん
学校がなくなるのは 大抵の場合「大人の都合」
子どもの都合でも学校の都合でもありません

仕方のないことはたくさんあるのだけれど
それ以上に 取り返しのつくこともいろいろあるようです

それは 学校が元に戻るということじゃなくて
心の帰る場所が元気でいるという奇跡が当たり前のようにあったから
とでも言っておきましょうか。。。

残された椅子

「おくりびと」になるので 数日の間、更新を休みます。
すぐに帰ってきますよ。。。すぐにね。

また「忘れ形見」を探しましょう。

カエル

ねこん

 

コメント

プロフィール

ねこん

こんにちは 『ねこん』です。
『時の忘れ形見』を探してあちこちドライブしています。どうぞよろしく。

上士幌は心の埋蔵遺産がたくさんあります。
「幻の橋」や地球創生を思わせる温泉など…
ここでは、町のシンボルでもある『タウシュベツ橋梁』だけではなく、上士幌町のちょっとしたことを見つめていきます。 

忘れ形見紀行 ルイン・ドロップ

このブログの読者