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空の栗

テーマ:ブログ
空の栗

 

ふと見上げると たわわの栗

季節の足跡は あちこちに ペタペタと付きはじめてるのに

まだ 深緑の 空の栗

天津甘栗は 好きだけど マロンケーキは 少し苦手

街路樹の栗って 食べられるかな

思うんだけど

栗のイガが あんなにツンツンしてるのは

よっぽど 食べられるのが 嫌なんじゃないかなぁ…て

 

始まりの道

テーマ:ブログ

station

北海道十勝を横断し、根室に至る根室本線。その帯広駅から分岐して上士幌町十勝三股駅までを運行していた旧国鉄士幌線は、1984年(昭和59年)6月22日国鉄再建法の制定に伴い、 第2次特定地方交通線として廃止承認。国鉄民営化直前の1987年に廃止されました。
今から26年ほど前のこと。
現在は旧線跡を含む一部のアーチ橋と軌道跡。そしてわずかに残る駅跡を除き、その遺構を巡るのは宝探しに近いほど、多くのものが消えていった。

上茶路駅跡

士幌線廃止が廃止になる前年の1983年、同じく根室本線から分岐する白糠線は、白糠郡白糠町の白糠駅から北進駅(二股)までを結んでいた。
前記の国鉄再建法施行の特定地方交通線廃止の第1号として全国の対象路線に先立って廃止されました。

元々の目的は、沿線の石炭及び森林資源の開発のため計画された路線で、改正鉄道敷設法別表第147号の2に規定する予定線として池北線足寄駅へ結ばれ、さらに新得までの北十勝線(未成線)と接続し、根室本線の内陸へのバイパスとなるはずだったそうです。
 しかし、沿線の炭鉱(雄別鉄道上茶路坑)が1970年までに全て閉山し、人口が激減。北十勝線開発も頓挫して、白糠線は新線延長はおろか既開業線の存続すら危くなる。
結局、北進駅までの延長を果たした1972年以降、延長工事の中止が決定。

上茶路跨線橋下に残る軌道

1980年に国鉄再建法が成立すると、白糠線は第1次特定地方交通線に指定。この時の白糠線は実に営業係数3,077(100円稼ぐのに3,077円かかる)という国鉄一の赤字路線に陥っていました。

①当初の石炭輸送という目的がなくなっていたこと

②全線が白糠町内を走り、複数の自治体を走る他の路線に比べて地元自治体からの了承取り付けは容易であったこと

③ほぼ並行して国道が通っていたこと

それらの廃止の条件が整っていたことから、特定地方交通線の先陣を切って1983年に廃止となりました。
開業からわずか19年、上茶路駅と北進駅の間が開業してから11年後のことです。

ガーター橋

十勝本別町から白糠町を結ぶ釧勝国道。(国道274-392号線)
緩やかな峠道を越えて二股に入ってから道沿いに累々と現存する白糠線遺構群。
国道を並走、あるいは道を跨ぎ、一部は緑に埋もれながらも時の記憶を晒し続けている。

鉄路の悪夢の始まりの道と言えるかもしれませんが、少なくなったとはいえども、沿線の暮らしは存在し続けているのです。

僕たちの失敗

テーマ:たわわの戯言
星の女(ひと)

夕べ 「プチ・ドロップ」の投稿記事を回りに資料を散らかしながら長々と打ち込んで、2時間ほどかけて完成させた。

「これで完成♪」 「公開」ボタンをクリックしたら、タイトルを入れていないことに気づき、あわててブラウザ(IN8)の「戻る」ボタンをクリックしてしまった。

結果─記事編集前(新規状態)に逆戻り。
「後悔」ボタンが欲しいな。。。

「進む」ボタンをクリックしても記事に復帰せずPCの前で半意識を失う。カエル

どべ~ん。。。カエル

 

「僕たちの失敗」じゃなく「自分の失敗」だ。。。
タイトルは仮でもいいから先に決めようね。

 

画像は芽室町図書館前駐車場にある彫像「星の女(ひと)」
芸術の秋です。

友だちを待つ学舎

テーマ:学舎のアルバム

北海道 本別町。義経伝説のある町
市街地から外れて国道274号線の分岐に入り、白糠町を目指す。
道を右手に街の景色を仰ぎながら峠道を進むといつの間にか隣町の浦幌町に入っていた。

ふと気がつくと右に大きな建物が見えてきた。

川上近隣センター
周辺の農家の倉庫も負けないくらい大きいけれど、地上と比べても8:2くらいの広い空の下で白っぽい建物がやけに目立った。

川上小中学校 浦幌町

グラウンドからの景色

白っぽい建物は、どうやら体育館。やっぱり学校のようだ。
校門やバックネットなどの学校らしいものは見当たらないけれど、閉校記念碑が置かれている。

浦幌の本町からだと遠いこの地区は、この先の釧勝国道を経て釧路管内に入る峠道沿いながら起伏が緩やかなため、流通のトラックや一般車も頻繁に走っている。
グラウンドと思しき平地の向こう側に高速道路の延長工事をしているらしき様子も見える。
それだけ人里の香りがありながら寂しさをぬぐえないのは、学舎跡に子どもたちの軌跡がないことと、グラウンドに瓦礫が散らばって閑散としていたかもしれない。

開校70周年と閉校の記念碑

明治41年に創立された学び舎は、昭和53年、開校70周年記念式典が挙行されたそうです。
その7年後に閉校とは夢にも思われなかったでしょうが、車窓から時折見える廃屋などが離農による過疎や少子化をものがたる。

校舎全景 左側は近隣センター

手形の入ったモニュメント77年の校史で卒業生は640名にのぼったそうです。
併設の中学校は昭和26年から42年6月まで。
何も無いように見えた学び舎の裏、自治会に植えられた花壇の中に手形が残るモニュメントを見つけました。
閉校時の児童は13名。そのモニュメントの存在になにかホッとするものを感じた。
淘汰されないものが、ちゃんとあったんだという気持ち。

今年は熱い夏でした。それでもグングン高くなっていく空に季節は巡ることを忘れないんだと改めて知らされる。

体育館の中

明治41年創立 昭和61年3月閉校。

校庭の片隅。雑草に埋め尽くされた場所に数本の低木が点在している。
その中にポツンとしゃがんでいるものが見えた。

寂しげな像

人というか鳥というか不思議な生き物の形。
たぶんいつかの卒業記念制作によるものなのでしょう。
前の道をジッと見つめて誰かが来るのを待っているかのようでした。

橋とミズナラ

テーマ:ブログ
タウシュベツ展望台

『えーっ!全然見えないじゃーん!せっかく来たのにぃーっ』
…という声が何度ここで繰り返されただろうタウシュベツ展望台。
今年も6月から湖水の下になってます。
数年前は沈まなかった年も2年ほど続いてたっけ。

橋に通じる林道もあらかじめ許可を得ないと通行できなくなったことからこの展望台が作られました。
でもドキドキしながら行った先が何も見えないというのも寂しいです。

それはともかく深い森の中を歩けることってそうそう無いからドライブ途中の散歩道には最適です、
足元もウッドチップが敷き詰めてあるから軽装で大丈夫。

タウシュベツ橋梁への展望台の途中

その道の途中になにやら案内板があります。
ミズナラの巨木。
これだけ大きいのは街の方なら確実に銘木100選に入りそうな木。

ミズナラの指標

森林資源の増産期、糠平の多くの木がたくさん切り出されました。
戦前から十勝三股に住んでいた人が出征し、戦後復員してきたら三股の森が伐採で変わり果てて驚いたという話を聞いたことがある。

現在も東大雪の山には木がたくさんあって大きな森になっているけれど、目の届くところのほとんどが植林されて管理されている二次林だという。
北海道といえばシラカバのほかに落葉松とかのイメージもあるけれど、もともと生きていた木ではなく植林によって広く分布するようになったとのこと。

人は木を切るだけではなく育てる時代になっているわけだけど、この大きなミズナラの巨木がリスの落としたどんぐりから成長したと考えるとなんだかスゴイ話な気がします。

小道が狭いのでフレームに納めきれない

この木はタウシュベツをずっと見てきたんだろうね。
タウシュベツ川橋梁が『幻の橋』の肩書きを頂くずーっと前から。。。

 

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プロフィール

ねこん

こんにちは 『ねこん』です。
『時の忘れ形見』を探してあちこちドライブしています。どうぞよろしく。

上士幌は心の埋蔵遺産がたくさんあります。
「幻の橋」や地球創生を思わせる温泉など…
ここでは、町のシンボルでもある『タウシュベツ橋梁』だけではなく、上士幌町のちょっとしたことを見つめていきます。 

忘れ形見紀行 ルイン・ドロップ

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