骨の上に立つ家
網走市の北海道立北方民族博物館で見たイヌイト(イヌイット)の人々が住む冬の伝統的住居だそうです。
上士幌町の隣町、鹿追町の然別湖で冬に開村する「然別コタン村」のイグルーみたいなのが家なんだと思っていましたが、どうやらそうではないようです。
たぶんイグルーは、狩猟の時などの簡易住居なんでしょうね。
主にアラスカの最北端ポイント・バローからポイント・ホープというところの海岸線地域でよく見られるそうです。
ところがこの家
出入口が穴になっていて、そこから4~5mのトンネル通路を経て主室へたどり着く。(炊事場は、主室の下に位置して全くの地下室状況)
家の大部分が地中にあるような感じで地上に出る主室部分は、土をかけて保温や暴風にしているそうです。
天窓はアザラシの腸を伸ばして貼り付けてあるそうだ。

もっとも驚いたのが、トンネル部分に当たるところに張り出した基礎部分。
クジラの骨(顎や肩甲骨)を組んでありました。。。
他にも流木やアザラシの骨を建物に使っている。
考えてみると、これだけ北の地域になると森林資源も貴重なものです。だからクジラの骨を使うのも当然といえば当然ですね。大きなものになると10人ほどが生活できるらしい。
とはいえ極北の地域。寒いでしょう。。。と思うけどアザラシの脂肪を燃やす灯り兼暖房で裸でくつろげるほど暖かいのだとか。(酸欠にならないのかとも思う。。。)
人はどんな過酷なところでも住み続けようとするものです。
自然の施しがあるうちは。。。
寒い地域が暖かくなるのも、やはり問題らしい。

私達の住む北海道は、極北に比べて過ごしやすいところですが、山々に降り積もる雪が自然のダムとなり豊かな水資源をもたらしています。北米やオーストラリアのように畑に水を撒き続けなければならない国よりもずーっとずっと恵まれているんですね。
それも全て自然という名の神の加護です。
玄人のクロ
今日は朝から雨
春雨じゃないから濡れていくわけにはいかない
この雨でカラカラに乾きかけてた鮮やかなツリーの飾りも
重みでパラパラ落ちてった
ツリーの下は ちらし寿司というか ラタトゥユというような
おいしそうな彩の大地
食べちゃだめだよ

おひるやすみによく散歩する散歩道
住宅街を分断するこの道は、融雪槽を備えた北海道ならではの道で
夏場は、爽やかで静かで家庭的な花の小路になっている。
妙にカメラ写りを気にして、やたら完璧なポーズをつける黒猫に出会った。
玄人のクロ
そう呼ぼう
生き別れた橋台

足寄町市街を「道の駅あしょろ」から国道241号を右折その先に利別川に架かる橋がある。
「両国橋」という名のこの橋は、延長104m、幅6mの鉄筋コンクリート製の橋。
ここが、かつて十勝国と釧路国を分けていた、いわゆる「国境」であったのだそうで、足寄町はこの橋を挟んで東側が釧路国足寄郡足寄村、西側が十勝国中川郡西足寄町の2つの町村に分かれていた。
最初の橋は木造で1906年(明治39年)、現在よりも少し下流に施工。
「両国橋」と命名されたのは1912年(同45年)。1955年(昭和30年)に合併した後も橋の名前は、そのまま残された。
その橋をかつての彼の国へ渡り、国道から川沿いに進む。
今では住宅が立ち並び平穏な時が流れている。
川と生活道路に挟まれた狭い土地は、ささやかな家庭菜園になっているらしく、ネギやら草花が植えられていた。
その途中、場所的に違和感のある石とコンクリートで築かれた遺構が残っている。
旧両国橋は、現在より下流にあったのだから、これは「ふるさと銀河線(旧国鉄池北線)」とともに足寄町にあったもう一本の鉄路「足寄森林鉄道」が利別川を渡った橋の橋台だろうか?
向こう側にも小さく、それらしい塊が見えた。
ひとつになった町で、ひとつの橋を支えていたけど、今は向こうとこちらで生き別れ。。。

二つの国を渡して ずーっと川を見つめてきたもうひとつの橋。
たぶん、これ以上ジャマ扱いされることもなく、ここにいるんだろうな。。。
毎年、夏に行われる「両国花火大会」を特等席で仰ぎながら、のんびりと。
晩秋隋道
秋深まる山 秋を惜しげもなく里へ振りまき原色に彩られる街
緑色の絵具に何色を加えても季節の彩りの変化は描ききれないよ。
なぜならそれが季節の魔法だから。
そういうわけで(どういうわけだ?)
お久ぶりにぬかびら源泉峡の方へ行ってきた。
知り合った人が面白いもののある場所を知っているとかで。。。

旧国鉄士幌線、それも糠平ダムができる前の旧線はどのようになっていたのだろう?
元小屋ダム近くの勇川橋梁(1936年:4m)から泉翠橋脇の第三音更川橋梁。(1936年:71m)
鱒見トンネル裏手に隠れる川を渡らない第二音更川橋梁。(1936年:73m)
鱒見トンネルを抜けて左側眼下に望む第四音更川橋梁。(1936年91m)
そしてダム建設以前には、渓谷を抜けて現在の対岸近くにあったという旧糠平温泉街の旧糠平駅に停車。
そこからタウシュベツ川橋梁(1937年:130m)を渡り、第五(1938年:109m)・第六(1938年:96m)音更川橋梁および十三の沢橋梁(1938年:58m)を経て十勝三股へ向かっていった。

付け替え後、第二音更川橋梁からタウシュベツ川橋梁までの旧線区間は、ひっそりと歴史の中に埋もれることになりました。
特に第四からダムに至る路盤は、たぶんダム建設の際にかなり形を失ってしまったのか跡を追ってみても怪しくなってくる。。。
クマさんも待ってそうな場所だし。
上士幌観光協会編纂による「東大雪アーチ橋ガイドマップ」においても途中から切り離された旧線は、ぶつ切りに表記されているため、初めて見たときは複線と勝手に思っていました。
どうやらそこには、トンネルが存在していたらしい。
「ダムができる前の山間を入ってたわけじゃないの?」
そんなわけで事実をこの目で確かめようと行ってみることに。。。

わき道から自分の車じゃ絶対に入れないような道を進むとダム前を横切る鋼鉄のアーチ橋が見えてきた。
橋の塗り替えか何かの工事らしく、橋はネットで覆われていて、その真下も工事に伴い「進入禁止」のロープが張ってある。
せっかくきたので車を降りて、トンネルがあるという場所へ。
意外とダムの方向から反れたほうへ進む─

コンクリートの欠片が目に入り始めた、とその先にトンネルが見えた。
そういわれて見ると今たっている場所も軌道のような感じがした。
夏場だと緑に覆われて見つけることはできないだろうね。

秋の深まりが隠しようもないこの場所。
静かにトンネルは存在していた。
前面はふさがれて小さな鉄の扉が付いている。
開いているようなので様子を伺うと、奥行きは1mほどで、再び厚いコンクリートの壁があった。
向こう側はダム湖だし。。。

紅葉に飾られたトンネルは、それはそれは美しいものでした。
少しまた、ロマンに一歩近づけた気がした。
※本当に旧線のトンネルかは、確認できていません。もしかしたらダム工事の際の何かかもしれないけど。
あたりは工事に伴う箇所とダム関係の施設で立入禁止場所があり、クマの登場もありえるため注意が必要です。
秋の んふふ。。。
街まで秋が降りてきた もう隠しようもないくらいに
これ以上赤くなれないというくらい 力んだ葉が
めまいをおこして ハラリ ハラリ と落ちていく
ああ いつの間にかこんなに積もって
こういうところを見かけると
石畳のきれいな道を行けばいいのに
落ち葉の中をシャカシャカと歩いてしまう
こういうところが まだ大人気ないんだなぁ。。。
ホラ もっと寒くなって 息すら目に映るようになると
朝 水たまりの薄氷を競って パリンパリンと割りながら
学校へ行ったみたいにさ
どんなことからも楽しみを見出す心
それを持つ子ども達こそ 偉大な発明家です
それをさせる季節が暖かい
んふふっ

人のよさそうな表情のネコ(寝てるだけ)


